組織調査や地域開発調査から、ロボット、菓子、玩具の開発まで、幅広い分野でリサーチ、コンサルティングをしている神谷俊さんのプロフィールには「エスノグラフィー」「エスノグラファー」という言葉が出てきます。神谷さんがどんな風に世界を見ているのか、お話を伺いました。
エスノグラフィーってなに?
ーー神谷さんのプロフィールで「エスノグラフィー」「エスノグラファー」という言葉を知りました。
エスノグラフィーの起源は文化人類学で、定量的には調査できないフィールドに対して、研究を行うときに用いられる調査方法です。例えば文化人類学や社会学では、未開の地の先住民族やストリートギャングなどの調査が有名です。既存の価値観や文化観では測れないような対象に対して実施することが多いです。
つまり、未知の領域に踏み込んでいく調査ですね。その人たちにしか分からない「モノ」を見るために、当事者の一員になるというアプローチです。調査者がその場に行って、その場のメンバーの一員として関わりながら継続的に観察と記録を行い、それをもとにその場のフィールドに埋め込まれている(目には見えない)意味や文化を掘り起こす。そういう方法論ですね。
私の場合は、高齢者や子供、若者、親、管理職といった様々な対象をリサーチします。どのフィールドにも特有の文化があって、当事者にしか分からない問題意識やニーズが埋め込まれている。それを収集してきて、定量的な調査で検証して、商品開発や施策の立案に反映させていくということをしています。
ーー神谷さんはご自身がエスノグラファーに向いてると感じていますか?
どうですかね。そもそも僕は自分がエスノグラファーだという強い意識はないんです。エスノグラファーと名乗っているのは、自分の動きやスタンスみたいはものがエスノグラフィー的な側面があるから。そのように認識された方が、世の中との齟齬が減るだろうという理由だけなんです。
僕はエドワード.W.サイードの「アマチュアリズム」※ の考え方に影響を受けていて、自分自身の職業は何でもいいかなと思っています。職業というのは結局、社会的な制度のひとつに過ぎません。だから、自分が赴くその時々で当てはまる役割を担えばいい。自分がソレを積極的に受け入れようとしなくていいかなと思います。
だから自分を社会的に規定する呼び名みたいなものは何でもいいと思っています。だから僕をコンサルタントや研究者と呼ぶ人もいるし、メンターやリサーチャーと呼ぶ人もいます。
エスノグラファーだと強い自覚と自負を持ったら、エスノグラフィーしかできなくなってしまう。僕は、エスノグラフィーの「専門家」になるのは、自分の選択肢を限定してしまうようで嫌なんです。
ーーエスノグラフィー的な側面で、ご自身の強みはどんな部分ですか?
好奇心。自分が生きている空間や接している社会について、なるべく多く知りたいという感覚がまずあります。人間や社会に強い興味があります。
複雑なものごとを紐解いていくことは楽しいですし、紐解いた結果にまだ見たことがないような価値観やメカニズムが埋まっていたりするとワクワクします。好奇心があるから領域を規定しないし、膨大な文献を読むことも厭わないし、フィールドにも積極的に赴く。それが自分の「眼」を強くしているのだろうと思います。
なぜ、好奇心があるか。僕は昔から自分の生きている世界に対して意識的だった気がします。自分自身も含めて客観的に見ていた。そのなかで疑問に思うことも多くて、それがどうしてそうなっているのかを知りたいと思うようになったのだと思います。
また、自分の人生についても客観的に考えているところがあって、人生が終わるということに対して、人よりも意識的だと思うんです。ならば、生きている人生を意味あるものにしたいと思っていますし、そのためにはもっと自分の生きている世界をより深くたくさん見てみたいなと。その探求姿勢みたいなものは人よりも強いかもしれません。
ーー自分なりに世界を知ることが重要なのでしょうか?
解像度の低い世界のなかで自分で知識を蓄えて、自分なりの視点を持って、解像度を上げて生きていくことが、主体的に生きるということだと思っています。そこで得た知識や視点を世の中に還元していく。そういう知性の使い方が人間の本分なのかなと。社会の流行や上司の指示命令、会社の価値観みたいなものに依存しながら自分を適応させるのは、受動的だし、生きた感じがあまりしません。人間は集団化すると、制度やルールによって自分達の動きを統制しようとしますが、そのシステムのなかに埋め込まれてしまって自分の主体感を失ってしまうのは、好きではないんですよね。
感覚が死ぬとき
ーー直感的に何かをやることはあるのですか?
もともと芸術の出身なので、基本は全部、直感や感性からだったりします。情報収集するときは、感覚的に知覚しているかもしれません。感覚に「障る」ようなノイズがあって、そこで関心が生まれる。例えば「このインタビューされている空間はなぜこんなに黄色やオレンジが目につくのか」などですね。
感覚に障ってくるものがあり、そこから思考がスタートして、「オレンジ色はどういう効能があるか?」「この場には外国人がたくさんいるけれど、海外でも同じ色彩感覚を持っているのか?」「色覚のグローバルスタンダードはどのように構成されているのか?」と好奇心が走り出していきます。
ーー入り口は感覚なのですね。
そうですね。感覚から入って、それが言語化されて、具体的な思考や考察へと結ばれていく、そういうプロセスです。エスノグラファーにおいて、フィールドで発生した違和感みたいなもの、イレギュラーなものって重要なんです。そのイレギュラーや違和感こそ、当事者と自分の心理的・価値観的な「距離」になるので、それを察知できるかどうかが肝になります。
違和感みたいなものをふと感じて、「この違和感はなんだろう?」と書き留めておいて、それを家に帰ってネットなどで調べます。そこで「この違和感はこういう理由で生まれていたのか」ということが分かります。違和感を自分の納得するかたちで言語化することを重視しています。
ーーその感覚を研ぎ澄ませたり、育てたりしているのですか?
研ぎ澄ませようと思ったり、感性を鍛えるために何かをするというよりは、知覚した違和感をちゃんと突き詰めて、思考で処理して意味付けて、自分のなかで学習としていくことを大切にしています。
感じたものを放ったらかしにして、何も調べたり考えたりしないで、周りから言われた「やるべきこと」だけをずっとやっていたら、その感覚は干からびていきますよね。自分のなかで、感じた感覚に価値を見出すことを意識しています。
知識を通して見る
ーー感性で何をつかむかは大きいですね。
はい。つかむ、つまり知覚するためには知識が重要だと思っています。結局、言語を知らなければ何も見えません。例えば「信頼の構造がどのように作られているか」ということについての知識があれば、人々の会話の端々からそういうものが表れているのが見えてくるんです。反対に、その知識がなければ人々の会話を見ても、何も見えない。だからきちんと見るためには、知識が重要なのです。
物事や人を見れば見るほど、違和感を感じるようになっていきます。そういう姿勢をつくるためには、「見たものを自分の中で知識として増幅させて、その知識を持ってまた見る」という行為をブラッシュアップさせていく必要があります。だから逆にいうと感性というのは、知識が増えていっている分、どんどん鋭くなっている気がします。
ズレが面白い
ーー自分で考えたことが相手に伝わらなくて、苛立つことはないのですか?
それはないですね。仮に伝わらなかったら、なぜ伝わらないのだろうという違和感が生まれます。その違和感を通して、その人に関心を持ちます。その人が育ってきた背景やその人が生活している社会などを想像しますし、その人が目の前にしているものを分析してみようと思います。
だから話をしていてわかってもらえていないなと感じたら、なんでわかってもらえないのかということを考えて、別の事例を話したり、別の話し方をしたり、あるいはその人自身に質問したりします。そこで怒りや嫌悪など、負の感情が生まれることは適切だとは思いません。
ーー私は何かがあるとすぐに怒りにつながってしまうことがよくあります…。
こうあるべき、こうそういう風にしないといけないなど、「常識的に考えればこうだ」という規範があると、それとずれていることが許せなかったり、受け入れられなくなります。
僕は逆のパターンで、そのズレみたいなものがすごく面白いと感じます。なぜそんなにズレているのかということに関心を持つので、あんまりズレに対して許せないという感情が出てこないですね。どんどんズレていってほしいと思いますね(笑)
ーーどんどんズレていくと、どうなるのですか?
新しい何かが生まれてきます。常識みたいなものを自分自身の視点や思考の枠組みの中心に据えてしまうと、めちゃくちゃ生きづらくなってしまいます。固定観念があってそれに囚われていると、全然別の方面から入ってくる情報が見えなくなり、フラットに見られなくなります。だからエスノグラファー自身ががそうなんですけど、自分の棲んでいるフィールドの考え方や価値観で対象を評価してはいけないかなと思っています。
不確実性の高い世の中で
これだけ不確実性が高い世の中で、何かにすがるというのはものすごく不安定なことだと思います。安定志向が高い人ほど、知らない人に会ったり、行ったことのないところに行ってどんどん移動の幅を大きくしたり、未知の領域をちゃんと学んで、いろんな知識をインプットしていった方がいいと思います。
ーー不確実な世の中は、神谷さんみたいな人にとっては楽しそうですね。
楽しいですね。個人の持てる能力とか本質的なスキルみたいなものによって、どんな生き方でもできる時代になってきているので、社会的な「移動」の幅は非常に広がっていますね。だからその本人の姿勢次第で何にでもなれます。
だからこそ、職業というものによって自分自身の歩き方や生き方、立ち方みたいなものを固定してしまうのはすごくもったいないなと思います。
僕は大学院の研究過程で、「名前のないところに名前をつけたり、全く意識してないものを意識するところから知性は始まる」ということを学びました。その通りだなと思うんです。人が見た世界や、人の付けた名前(意味)、人の物差しに自分をはめ込む必要はないんだなと。
ーー神谷さんが調べながらいろいろやっていることは、名前をつける行為に近いですか?
近いですね。名前を探して、探しても探しても名前をつけられない現象に、自分なりに名前をつけられれば大成功ですね。それは要するに世の中の人がまだ見えていないものを見つけたということなのでとても嬉しいです。
(インタビュー:寺中有希 2020. 1.10)
※アマチュアリズム:「専門家のように利益や褒章によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに専門職という制度から自由になって観念や価値を追求することをいう」(エドワード.W.サイード「知識人とは何か」p.127)
プロフィール:
神谷 俊(かみや しゅん)
株式会社エスノグラファー 代表取締役
株式会社ビジネスリサーチラボ リサーチフェロー
面白法人カヤック 社外人事
GROOVE X 株式会社 エスノグラファー/社外人事
企業・地域をフィールドでエスノグラファーとして活動する。文化や人々の振る舞いを観察し、現地の人間社会を紐解くことを生業としている。参与観察によって得た視点を経営コンサルティングや商品開発、地域開発など様々なプロジェクトに反映させ本質的な取り組みを支援する。経営学修士
Twitter https://twitter.com/kamiya_ethno
株式会社エスノグラファー https://ethno-grapher.com/
面白法人カヤック https://www.kayac.com/team/kamiya-shun
株式会社ビジネスリサーチラボ https://www.business-research-lab.com/works-2