インタビューvol. 25 早川克美さん「芸術を身近に」

京都造形芸術大学芸術教養学科 学科長の早川克美さんは、通信教育で「デザイン思考」を社会人に教えています。デザインは一握りのデザイナーやアーティストのものではなく、身近なものとして捉えることで、より豊かな生き方、暮らし方につながります。「デザイン」と「生きる」の接点についてお伺いしました。

デザイナーから教育の世界へ

ーーデザインの仕事から教育の世界に行こうと思ったきっかけは何ですか?

デザインの仕事は、クライアントから問題、課題を出されて、それに答えを出す仕事です。私なりに世の中にとって新しい提案をしようと心がけて取り組んできました。でもデザインの仕事は、仕事が来て、自分なりの新しい答えを出すと、すぐ次の新しい仕事が来るという繰り返しでした。

いまの仕事が本当に世の中のためになったのかということを検証しないまま新しい仕事をする中で、自分の中でどんどんアイデアを消費していく、焦燥感みたいなものを持つようになりました。

40代になったときに、一回とどまって、自分がやってきたことを振り返りたいとおぼろげに思っていたんです。

教育のクリエイティビティ

その頃、教育にはカケラも興味がなかったんですけど、友人から東京造形大学の非常勤講師の仕事を頼まれ、自分なりにプログラムを組み立てて、15回の授業をしました。

最初はざわざわとしていたダラけた学生たちが、回を追うごとに目の輝きが変わって前のめりになってきたんです。言えば言うほど学生たちから出来上がってくるものが良くなるという体験をしました。

自分が考えたプログラムで人間が成長するということを初めて経験して、「教育ってなんてクリエイティブなんだろう!」と感激したんです。

でもそうはいっても非常勤だと通りすがりの旅人のようで学生に深くコミットできません。もっと学生に関われるようになりたいなと思って、専任の大学教員の道を探し始めました。

デザインは身近なもの

美大ではデザイナーになりたい若者にデザインを教えますが、私は一般の人に教えたいと思ったんです。一般の人はデザインのことを自分と全く関係ないと思っていることがほとんどですが、実はデザインは生活の中に深く埋め込まれています。

例えばテレビやインターネットで情報を仕入れるとき、私たちは無意識、無自覚に情報を自分の中で編集しています。会社の会議やPTA、マンションの理事会など、ファシリテーションの技術みたいなものを無意識の中で発揮している人もいます。

ありとあらゆる場面でデザインは埋め込まれているのに、みんなが無自覚だから、すごく残念なことをしていると思います。「みなさんは実は日々の生活の中で、デザインを実践しているんですよ!」ということが伝わったら、社会がちょっと変わるのではないかと思っています。

デザインを一般の人に

ーー 一般の人に教えたいという想いはどんなところから生まれているのですか?

20代〜30代半ばくらいまで、公共、自治体の仕事がほとんどでした。公共の自治体の人たちにもっとデザインのことをわかる人がいれば、街のデザインはもっとよくなるだろうと思いながら仕事をしていました。

市役所や県庁の人はデザインのことをあまりよくわかっていなくて、プレゼンテーションをすると、「前例がないから認められません」と言われることが多かったんです。そこを説得し、交渉していく仕事をしていました。

公共空間や普通の街並みに関しては、作法やマナーを気にしないで生きている人がほとんどなんです。
例えばお茶の世界では、お作法を身に着けてお茶の空間を楽しもうとします。美しい街並みをつくることというのは、たぶんお茶室の作法に似たような、ベースに持っている美意識みたいなものがものすごく必要だと思っています。

それは一人ひとりの中の意識を変えていかないと、美しい街並みやパブリックスペースを有効に使うことは、実現できないということを実感していました。

仕事をしている中で、普通の人にもっとデザインのことが伝わればいいのにということがずっと問題意識としてあったんです。

考えるトレーニング

ーー芸術やデザインの視点は学ぼうとすれば誰もが得られるものですか?

芸術やデザインの素地が全くなくても変わっていきます。芸術を学ぶということは、「先人たちがどんな思いでそれを表現したのか、そこにはどんな社会背景があって、どんな技術が生まれたのか」を紐解いていくことです。

そこをみていくと、芸術は人間の生きてきた営みそのものだということに、皆さんも気づいていくんだと思うんです。だから美しいからありがたいということではなくて、なぜ美しいものが生まれたのかということを紐解いていくと、芸術との距離が縮まっていく気がします。

私たちは芸術を通して、「なぜそうなったのだろう」「どういう仕組みなのだろう」「いつからそうなのだろう」と考えるトレーニングをしています。

「なぜそうなったのだろう」を考えるためには、その対象をしっかり調べる、しっかり観察することが大切です。そこから課題がみえてきて、その解決策を考えていきます。その思考のプロセスがデザインそのものなんです。そう考えると、仕事に生かせたり、生活の中でもっと自覚的に生きたいという思いにつながっていきます。

社会的意義を問う

ーーどんなデザインの仕事をしてきましたか?

大学卒業後、「GKインダストリアル研究所」に入社し、環境デザインの部署に配属されました。

配属先のトップだった西沢健は「自分たちが描いている一本の線に社会的意義があるか、いつも自分に問いかけてデザインしなさい」と言っていました。毎日毎日、「君のデザインに社会的意義があるか」と問われて、「社会にとって意味のあるデザインって何なんだろう?」と大学生のときには考えもしなかったことを学ばせてもらいました。

ーー社会的意義のあるデザインというのはどういうものですか?

信号機は警察の持ち物、街路照明は道路を管理している自治体の持ち物で、持ち主が違います。

でも道路を歩く人にとっては同じ「柱」ですよね。信号機と街路照明が並んで立っていたら、柱がいっぱいあって死角もできますし、きれいな道にならない。

信号と街路照明を一緒にしたら街はどんなにすっきりするだろうと、30年前に日本で初めて信号と街路照明を一緒にするデザインを提案して、実現したのがGKでした。

ーー早川さんの中にある社会のためになりたいという思いは、働き始めからあるのですね。

GKにいた11年は、修行のような時間で、社会のためになるということをたたきこまれました。あそこにいなければ、私にいま、こういう社会意識はないかもしれません。

シビック・プライドを醸成する

ーー「社会のためになるデザイン」というときに、「統合して使いやすくなる」以外にはどんなことがありますか?

使いやすいということ以外には、「美しくある」ということですね。環境を美しくすることは絶対に必要だと思っています。それは市民の美意識の底上げをするということに絶対つながると思います。

あとは、美しさの延長にある、「誇り」や「プライド」です。デザインは「シビック・プライド(市民の誇り)」を醸成することに役立つと思っていて、環境デザインは自分の街を好きになってもらうことの黒子なんだと思うんです。

もっと突き詰めていくと、演出のような表面的なことではなく、街やその場所の品格をつくり出すことにつながると思います。

私はデザインをするとき、最終的に品格をつくっていくことにどう貢献できるかをすごく気にしていると思います。

おせっかいをし続ける

ーーデザイナーとして追求してきたことと、大学でデザインを教えていることはかなりつながっていますね。

そうなんです。一見全然違うところに行ってしまった感じなんですけど、私の中ではいままで思ってきたこと、経験してきたことの延長に、いまがあります。

ーー 一番つながっている部分はどこだと思いますか?

きれいごとを言うと、人のためなんですけど、それは自分のためでもあります。たぶん、根っからの「デザイナー気質」なんですね。

デザイナーというのはお題を与えられるとそれに答えを探したくなったり、問題を見つけると解決せずにはいられないんです。それはおせっかいなことですよね。若い頃はパブリックデザインにおせっかいをし続け、いまは、学生一人ひとりにおせっかいをし続けているような気がします。

「デザイナー気質」のもうひとつの点は、観察することです。人を観察するなんて言ったら失礼ですけど、学生の方たちと会う中で、彼らが発してくる情報を私なりにキャッチして観察して、課題を見つけ、どうしたら課題を解決できるかということを絶えず考えている気がします。
そういうのが「デザイナー気質」だと思います。日本的に言うと「おせっかい」(笑)

ーー人に何かをしてあげたいという原動力はどこから来るんですか?

人間が好きなんですよね。京都造形芸術大学に入る前からずっと人が好きだでしたが、おせっかいを焼いたら、感謝を待っているところがありました。
感謝が原動力になっていましたが、そういう期待を持たなくなったらすごく解放されて、のびのびと人と接することができるようになりました。期待のないおせっかいというのは、気持ちがいいんです。

新しいものがみえてくるとき

ーーやりたいことを続けていく原動力はどこにあるのですか?

先日読んだ文章の中で、進化のプロセスでは、まっすぐ右肩上がりに進化するのではなくて、ある進化が頂点・頂上に立つと、ものすごく不利な状況に外的な圧力がかかったり、環境的な要因を受けてそこで絶滅するものもあるけれど、そこから別の進化をするものもある、ということが書いてありました。

それはひとりの人間の進化や組織の成長をとってみても、同じことが言えると思います。ちょっとうまくいって楽しくなってくると、また課題が出てきます。でも働くというのはそういうことの繰り返しですよね。

軌道に乗ってきたなと思うとまた大きな山が見えたり、壁にぶち当たって、「また来たかこの感じ」と思う。そうやってもがいているうちに何か見つかるんです。がくんと落ち込んで悩む時期を過ごしていると、次の何かを閃くんです。

ーー日々の生活で直感を大切にしていますか?

直感は天から降ってきたようなものではありません。日々、何か考えて、引き出しの中に余計なものをいっぱい入れていくと、何かの拍子にその引き出しがぱかぱかとあいて、つながるというのが直感だと思っています。だから日々、余計なことをするようにしています。

ちょっと迷ったり、停滞している自分がいるなと思うと、不思議と自然にたくさんのインプットをするようになります。

それは「食べなければ」という本能のような気持ちに近いかもしれません。「生きるために食べなくては」という感じで、講習会に行ってみたり、本を漁ってみたりする中で、あるとき、何かが見えてきます。そういう感覚はこれからも大事にしたいです。


(インタビュー:寺中有希 2019.5.20)


プロフィール

早川 克美(はやかわ かつみ)

京都造形芸術大学芸術学部通信教育部芸術教養学科 教授 学科長
株式会社F.PLUS 代表

1964年東京生まれ。
武蔵野美術大学造形学部卒業。東京大学大学院学際情報学府 修了(学際情報学)。
GKインダストリアルデザイン研究所を経て独立。

オンラインのみの芸術教養学科では、在籍者2500人の社会人の学びを牽引する。
デザイナーとしては、サインデザインを中心に多様なデザイン手法で情報を伝え、受け取る人々に先の未来の豊かさを作り出している。

主な受賞としてFUSION MUSEUM KNIT × TOY(2007・SDA賞サインデザイン賞)、SHINJUKU PICCADILLY INFOMATION PROJECT(2009・SDA賞サインデザイン優秀賞)、グッドデザイン賞、JCDデザインアワード審査委員特別賞など多数。

単著「デザインへのまなざしー豊かに生きるための思考術」

京都造形芸術大学 芸術学部 通信教育部 芸術教養学科