たとえどうしようもない運命のもとに生まれたとしても
スペインから帰って、レールの世界から降りたような感覚はまだ続いていた。2週間空けていた家の床にはうっすらとホコリが積もっていた。前とは違う身体感覚。思考の仕方もどこか違うような気がした。
だが、レールの世界から降りている世の中の価値基準から解放されたような感覚は長くは続かなかった。
スペインから帰って、レールの世界から降りたような感覚はまだ続いていた。2週間空けていた家の床にはうっすらとホコリが積もっていた。前とは違う身体感覚。思考の仕方もどこか違うような気がした。
だが、レールの世界から降りている世の中の価値基準から解放されたような感覚は長くは続かなかった。
こう生きるべきという呪縛から離れることは怖いかもしれない。
ただ、それぞれの人たちが異なる思いを持って行う人生の巡礼は、怖かろうが怖くなかろうが、すべての人に開かれていて、ただ自分から湧き上がってくるものを大切にすることでなし得るものなのだ。
以前、吉田豪さんが「プロインタビュアー」という職業を作ったことを知りました。私も今の時代に必要とされる「新しい仕事」を始めようと考え、「学級経営をするのが難しい学級の増加」「代替教員としての講師不足」という教育界の問題に挑戦すべく、さまざまな学校を渡り歩くフリーランスの教師の仕事を「フリーランスティーチャー」と名づけ、2016年の春から活動を開始しました。
私には、なんだかずっと「こんな社会は嫌だ」という怒りと、「自分にすべき仕事がある」というような使命感がある。おそらくそれは自分が、マイノリティが多くいるコミュニティで育ったことに由来している。
東京で小学校の教員をしていますが、普段の教員の仕事の他に、もう一つ力を入れていることがあります。それは原爆体験の語り部活動です。
僕は36歳ですから、もちろん自分自身が被爆したわけではありません。
「あり方」を問う、定め直すという課題設定自体がやり方によっては危険を孕んでいることをここで自覚しておかねばならないのだろう。
よく、「一人旅って寂しくない?」と周りから質問されますが、逆に私は「一人旅ってそんなに寂しいことなのか?」と疑問に思うのです。
物事に向き合う姿勢を、私は一遍の詩から学びました。
writer: 渡邉貴大
「あり方(being)を探求する」というのはどういうことなのか。この意味と意義について僕なりの解釈を記してみたいと思う。