インタビューvol. 7 川辺洋平さん「対話から生まれる世界」
分かりたいから関わると言うよりは、関わらないと分からなくなるという感じかもしれません。関わってみても結局わかり合えないかもしれないけど、関わったことがあるだけで、攻撃しようとまでは思わなくなるのではと思います。違う価値観の人を全然わからない未知の生物と見てしまうのではなく、違うけれど悪い奴じゃないと思えば、関わらないけれど、怖くもない。
分かりたいから関わると言うよりは、関わらないと分からなくなるという感じかもしれません。関わってみても結局わかり合えないかもしれないけど、関わったことがあるだけで、攻撃しようとまでは思わなくなるのではと思います。違う価値観の人を全然わからない未知の生物と見てしまうのではなく、違うけれど悪い奴じゃないと思えば、関わらないけれど、怖くもない。
私には、なんだかずっと「こんな社会は嫌だ」という怒りと、「自分にすべき仕事がある」というような使命感がある。おそらくそれは自分が、マイノリティが多くいるコミュニティで育ったことに由来している。
障害のある人の一番のポイントは人に助けてもらわないと生きていけないということです。「人に助けてもらわないと」と言うとマイナスっぽい感じですが、本当は人がつながったり、助け合いができたり、お互いがいい意味で変わっていくというのができる、よい「チャンス」なんです。
「探究」をやりたかったというよりは、「探究」というものに出会い、「探究」というものに惹かれました。探究とは、私にとっては、五感を使って入れた知覚情報を、何らかの形で処理してアウトプットするというプロセスそのものだったんです。
僕は楽しいことのためにはどんな苦労も惜しまない。船酔いが30年間治らなくて海に出ると毎回、2週間は血反吐を吐いてる。それでもヨットは楽しい。楽しいことだからできるし、がまんしたらできない。苦しい人というのは、苦しい方に舵を切っている。幸せは何かを得たから幸せなのではなくて、幸せな方に舵を切った瞬間、幸せになれる。
子どもたちには自己決定や自己責任みたいなものをちゃんと問いかけていきたいし、それがちゃんと育まれて最終的には「自己信頼できる状態」になって社会に出て行って欲しいなと思うし、それがアウトワード・バウンドの理念である「出航準備」ではないかと思っています。
東京で小学校の教員をしていますが、普段の教員の仕事の他に、もう一つ力を入れていることがあります。それは原爆体験の語り部活動です。
僕は36歳ですから、もちろん自分自身が被爆したわけではありません。
「それってどういうことかな」「細い道をたくさん作ると古い街っぽくになるのかな」「じゃあ実際に作ってみよう」と思って作るのが空想地図です。図形脳で地図を再現するのか、身体と言語表現で再現するのか、表現手段の違いでしかありません。
「あり方」を問う、定め直すという課題設定自体がやり方によっては危険を孕んでいることをここで自覚しておかねばならないのだろう。
よく、「一人旅って寂しくない?」と周りから質問されますが、逆に私は「一人旅ってそんなに寂しいことなのか?」と疑問に思うのです。