インタビューvol.46 西村佳哲さん「自分の響きと共に」
食べることを通じてやっているのは、食べている間「自分と一緒にいる」ということです。自分と本当に一緒にいる時間にしたい。
食べることを通じてやっているのは、食べている間「自分と一緒にいる」ということです。自分と本当に一緒にいる時間にしたい。
目標の手前の段階で「あ!こっちの方に何かありそう!」という感じが先に来ます。目標を立てるのはそのあとです。こっちだな〜という方向を見ると、なんだかそこにある何かが楽しそうに見えるんです。それは魂というか、見えない何かですが、その魂みたいなものが喜んでいる感じがする方に行っちゃいます。
最終成果みたいなものは、500年後か1000年後かもしれませんが、何かひとつでも、自分だけが初めに知る発見というのは、常に目の前に小さな人参がぶら下がっているような状態なんです。
「サステナビリティ」というのは、自然環境のことだけではありません。人や動物、植物などとも関係し合っています。だから「おかげさまを忘れないでね」と学生たちに伝えています。
人に対する誠実さがお米に出るような気がします。お米は生産者を映し出すので本当に面白いんです。
私は、PAというアイデンティティをずっと守ろうとしてきて、本をつくること、HPをつくることをしてきた気がするんです。だからいまは少し揺れています。クラシックな「ザ・PA」を守っていくことがPAJを最初につくったうちの一人として大事なことなのか、それとも時代の動きの中で新しいかたちになっていってもいいのかを考えているところです。
博物館にいる人にはそれぞれの特技や専門分野があります。私も何か得意分野がないと居づらいなと思っているときに、大量の骨を仕分けする中で、哺乳類なら大体の見当をつけられるようになってきました。博物館のために働けて自分も勉強でき、何より骨の形は面白くてハマりました。
プロジェクトの記録や組織の棚卸に伴走することが多いのですが、そこで起きていることは、本当に名づけようがないんです。それこそ敢えてことばにすると「誰かとともに生きていくこと」や「人生」みたいなことで…。
「詳細をきく」というとその問題がどういうものかを細かくきくというのが通常の理解です。でもそういうきき方をするとその問題はどんどん大きくなるだけなんです。でもナラティブにおいての「詳細をきく」とは、「その問題とその人の関係性」をきいていくということなんです。
こう生きるべきという呪縛から離れることは怖いかもしれない。
ただ、それぞれの人たちが異なる思いを持って行う人生の巡礼は、怖かろうが怖くなかろうが、すべての人に開かれていて、ただ自分から湧き上がってくるものを大切にすることでなし得るものなのだ。