非常勤ファシリテーターのエース(下國健人、写真後方)。子どものキャンプやPA(プロジェクトアドベンチャー)のファシリテーターをしています。エースの大切にしている人としての「かっこよさ」とは。
PAとの出会い
体育を専攻していた大学生時代の集中講義でPAに出会いました。よくわからないまま体験しましたが、センセーショナルだった記憶があり、「なんかすごいな」という感じがしました。その後、大学院生のときにPAJ(プロジェクトアドベンチャージャパン)主催のAP(アドベンチャープログラミング)講習会に参加しました。
高校時代は、サッカーの強豪校で一生懸命プレーしていて、ずっと競争意識がありました。チームメイトは仲間でもあり、ライバルでもありました。そういう関係性や考え方をPAの活動のときにガラッと変えられたような感じをいまも覚えています。
仲間と何かを成し遂げるマインドがそれまでとは違うような気がしたんです。それは幸福感に近いような感じで、PAのアクティビティの中では、うまくいくにしても、いかないにしても、その試行錯誤しているプロセスにその幸福感のようなものがありました。サッカーをしているときは、結果がついてきたときにはそう感じましたが、そのプロセスは苦痛の連続のような気がしていました。そこが大きな違いですね。
考え続ける、学び続ける:ファシリテーター育成
いま、新しいファシリテーターのトレーニングを担当し始めています。僕がPAから受け取ってきた言葉にならない部分をいろいろな人がわかるように伝えようと頑張っています。伝える中で難しいのは、僕なりの解釈になってしまうところです。
できるだけ一般化された言葉にするために、自分と同じような考えが述べられている部分を本から抜き出して伝えようと心がけていますが、最終的な大事な部分は、「オレはこうやって感じるんだよね」という部分を伝えていかなければならないと思います。ファシリテーションは、立場や背景、育ててきたものや感性を使って物事をみなければならないので、ときには、一般化するのが難しいと感じることがあります。
だから、新しいファシリテーターには、僕が伝えたことが全てなのではなく、ひとつのエッセンスと捉えて、それを題材にこの先も自分から求めて深めていってほしいですね。またいろいろな面から考え続けていくと、別の分野からヒントがあるかもしれません。それは映画のワンシーンや歌の一小節かもしれない。そんなところから自分だったらどういう風に伝えるかを考えることも大切です。「アンテナを張り続けること」を裏テーマとして大切にしています。
目指す姿
僕が思う「いいファシリテーター」の要素はいっぱいあります。いっぱいあって困りますが、ひと言にするなら、「人としてかっこいい人」です。僕の周りにはかっこいい大人が多く、いい出会いをさせてもらいました。この人かっこいいな、この人の年にはこうなっていたいなと思う人がたくさんいます。
僕自身がファシリテーターとして心がけているのは、対象がどんな年齢であっても、あざとくなくグループに溶け込むことです。一番最初の段階では仲間に入れてもらえるようにめがけていきます。仲間にしてもらえたなと思ったら、グループの中で起こることに目を配りながら、スッとそこにいさせてもらえることを心がけています。
子どもたちにとって前に立つ大人は「先生」なので、いかに先生ではない存在になるかを心がけているし、子どもたちに油断してもらいたいです。油断してくれたら思っていることをぶつけてくれるようになり、大人が喜ぶ言葉で飾らなくなります。
自ら遊べる子どもたちに
ここ数年、自分たちで遊ぶことが上手じゃないなぁと思う子どもたちに出会うことが多くなったと感じています。遊んであげないと遊べない子どもが増えているのかもしれません。僕らが提供し、遊んであげるようにはしたくないんです。もちろん最低限の安全管理は大切にしていますが、その中でどんどん自分の中で遊び始める方がきっと本当の楽しさにたどり着くんじゃないかと思います。
「こんなことしようよ」とお誘いはするけれど、全てを説明するとテレビゲームと同じ感覚になり、全てのルールや世界が予め決まってしまってそこから逸脱できない。そうなると子どもたちの自由な発想は少なくなっていきます。
ルールではなく遊び
僕は北海道出身で、冬には川が凍る場所で育ちました。放課後には大人に隠れて凍った川の上におりるんです。中央は氷が薄いので、落ちるギリギリのところまで行くという遊びをしていました。なんの生産性もないけれど、すごく楽しいんです。そしてそれは誰かが落ちて決着が着くまで終わらないんです。それは「ルール」ではなくて、どこまで行けるかという「遊び」なんです。
落ちて足が凍る人が出てきてやっと遊びが終着するという、ドキドキわくわくした瞬間がありました。PAのアクティビティの中で、目の前の子どもたちのギリギリの終着点を狙うのに、自分の経験がベースになっています。安全を担保したうえで、グループの身体能力や考える力、集中力の持続などを見極め、活動のギリギリを考え出そうとしています。その見極めはまさに薄氷を踏むようなギリギリのところを詰めています。平静な顔をしていても頭はすごく動いています。
ときに見立てが外れることもありますが、その成否はそんなに大きな価値ではありません。本気でそこに向かい合っていれば、子どもたちは失敗しても充足感があります。その気持ちや感情をもとに、どんなことが起きていたかを考えるということは、すごくプラスなことだと思います。
あり方を問い続ける
ファシリテーターになってからの10年、何か迷い始めたときには「どうありたいか」というところに立ち戻るようにしています。人として善くありたい。いい人ではないけれど、善くありたいと思っています。そしてその「あり方」はその時々に起こっていることで変わっていくと思います。
この先については、たぶんその時々に考えることや出会いによってその判断基準が変わっていくかもしれません。その時々に自分に立ち戻って自分で答えを出していくのかなと思います。
現時点では10年後にどんな風になっていたいかというのはたぶん言葉にできない気がします。その時々の自分の基準で「かっこいいのはどっちだろう?」と思うかもしれないです。
自分の中ではこういう方向性や指針ができ始めたというのはすごく大きな変化なので、この先もきっとあるであろう変化に自分で答えを出せるといいなと思います。
(20190218)
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