「あり方を探求する」とは?


writer: 渡邉貴大

「あり方(being)を探求する」というのはどういうことなのか。この意味と意義について僕なりの解釈を記してみたいと思う。

■「あり方を探求する」意味

僕は言葉そのものが持つ意味から考えはじめるのが好みだ。だからここでも「あり方を探求する」を構成している言葉の意味を分解して意味を拾ってみよう。

・「あり」→これは「在る」という言葉なので、存在するという意味だ。

・「方」→「様子・状態」という意味を表している。

・「探求」→「さがし出し、手に入れようとする」という意味だ。

僕は国語の専門家ではないということをここで触れつつ、言葉そのものの意味を拾うと、「存在する状態を、さがし、手に入れようとする」ということだろうか。

では、「何が”存在する状態を、誰がさがし、手に入れようとする」のだろうか。ここからは僕の解釈を展開していこう。

先ずは“何が”存在する状態なのかという視点から意味を探りたい。端的に言うと立ち位置だと考えている。居場所と言い換えてもいいかもしれない。立ち位置や居場所というのは絶対的なものではない。文字通り、相対的に何かと何にかの間に「在る」ということだ。では何と何の間に在るのだろうか。ここで“誰が”という主体の存在が文脈に絡んでくる。主体は言うまでもなく数多いるのだが、ここでは分かりやすく3つに分けたい。「自分」「他者」「社会」の3つだ。この3つの主体者が、各々の立ち位置や居場所をさがし、手に入れようとする様を「あり方を探求」している状態と言うのではないだろうか。

■「あり方を探求する」意義

さて、次は意義の解釈に進んでいきたい。

その前に繰り返しになるが、「あり方を探求する」とは「自分」「他者」「社会」それぞれがお互いの立ち位置や居場所をさがし、手に入れようとすることである。常に変化するそれぞれのあり方の中で、各主体があり方をさがすのだ。実にカオスな状態と言える。特に、先の見えない変化の時代と呼ばれる昨今では、それぞれがめくるめく変化の渦の中で生きる主体であることから、「あり方を探求する」という行為はカオスに飛び込むようなものだと言える。

こんなことに意義などあるのだろうか。正直よく分からないというのが率直な感想だ。しかし、日々生活する中であり方を問われる瞬間は意外と少なくない。

「将来どんなことをしたいの?」

「どんな働き方や暮らし方をしたいの?」

「家族や恋人とどんな関係を築きたい?」

「どんな世界を未来に残したい?」

全てあり方の問いだ。そしてありふれた問いだ。しかし、難しい問いでもある。なぜなら僕自身がこれらの問いに対して未だ明確で明快な返答が出来ないからだ。だからこそ問い続けなければならない問いでもあるのだろう。そう思う理由は問うことであり方が鮮明になり、より自分らしい生き方を手にすることが出来てきた実感があるからだ。

僕らは日々の慌ただしい生活の中で意味付けを省略して行為に移すことが少なくない。例えば、食事を毎日3食とることや、週5日働くことなどがそれに該当する。これは自分で決めて選んだことだろうか?自分でそうする意味を見出して行為に移していることだろうか?少なくとも僕自身はこれまでなんとなくそうしてきた。

しかし、どうだろうか。例えば先に挙げた「どんな働き方や暮らし方をしたいの?」という問いを真剣に考え始めると、毎日なんとなくしている食事や、いまはなんの不満もなくしている仕事を再考し、意味付けをする機会がうまれはしないだろうか?実際に僕は再考の末に『もっと余白のある暮らしをしたい』という欲求に出会い、『足るを知る』というあり方を手にした。その結果、働きすぎない、食べすぎない、必要以上のものを所有しない。といった具合に暮らしをダウンシフトすることに成功し、実際に暮らしに余白がうまれた。

これは問わなければうまれなかった変化だ。僕らは問われる度に考え、言葉にし、それを行動に移すことを繰り返し、はじめて自分にぴったりくるあり方をその手にすることが出来るのではないだろうか。そして、よりぴったりくるあり方を手にした時に自分の人生を生きている実感をより強く得られるのだと思う。

もちろん「毎日問答しよう!」という主張ではない。ただ、「将来どんなことをしたいの?」「どんな働き方や暮らし方をしたいの?」「何のために生まれたきたの?」といった具合に、時にはあり方を問うことで、今の自分を省みる切っ掛けがうまれ、実現したい未来に進みはじめることができるのだ。

『より良く生きる』『より良い未来をつくる』という言葉を巷でよく聞くようになったが、あり方を探求する意義は、より良い自分に出会い、自分の人生を生きてる実感を手にすることなのだ考える。

■探求は続く

「あり方の探求」の意味と意義について僕なりの解釈を述べてみた。「あり方を探求する」意味を、「自分」「他者」「社会」それぞれがお互いの立ち位置や居場所をさがし、手に入れようとすることと解釈した。そして、「あり方を探求する」意義を、より良い自分に出会い、自分の人生を生きてる実感を手にすることと解釈した。

何かを言っているようで何も言っていないような、何も言っていないようで何かを言っている。そんな解釈になってしまったかもしれない。

僕の「あり方を探求する」ことの探求はまだまだ続きそうである。

最後に、ある物語からの引用を載せたい。

「私は私の中から出てこようとするものをただ生きてみようとしたに過ぎない。それがなぜこうもむずかしいのか。」ヘルマン・ヘッセ(デミアンより)

あり方の探求は誰しも永遠続けていくものなのだろう。

writer: 渡邉貴大

1 個のコメント

  • ヘルマン·ヘッセの時代から、自分の中から出てこようとする感情に従って生きることが難しかった。インターネットの発展で当時の何百倍、何千倍の情報が溢れる現代、相当にあり方を探求しないと、時代に流され、翻弄され、人生の幕を閉じてしまう。

    より良い自分に出会い、自分の人生を生きてる実感を手にするためには、自分のあり方を探求し続けるしかない。答えは自分の中に、未来は対話の中にある。

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